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TOP>昆虫少年広場>昆虫少年広場

※下にいくにつれ、新しい記事です。

昆虫少年です。  昆虫少年広場(ひろば)に遊びにきてくれてありがとう。
今日は、2007年10月26日です。
夏の慌ただしい時期も終り、やっとパソコンに向き合う時間もできました。
そこで今日は「夏の昆虫採集の注意事項」を皆さんに知ってもらおうと思います。
私は、今年で43回目の夏を過ごすことができました。小さい頃から生き物が好きだった私は、物心がついた
頃から、「虫とり」に、家から数キロ離れた山に、三輪車でよく出かけていました。
帰りはお巡りさんにパトカーで、家まで送ってもらったこを今でもハッキリと覚えています。 
私がその頃、ホームグランドにしていた山の頂上付近では採石場が在って、大きなダンプカーが通りました。
3、4歳の子供が一人で居るわけですから、ダンプの運転手のおじさんが心配して、よく声を掛けてくれました。
しばらくすると「ガリガリ、スッポン」と小石を撥ねる音に振り向くと、山道をパトカーが上がって来ます。
パトカーが到着すると私はいつも素直に三輪車を差し出し、後部座席に乗り込みました。
時には好奇心の成せるままに、知らない道に迷い込んで迷子になってしまいました。そんな時は道端でパトカーを拾ったり、交番を探して家まで送ってもらったこともありました。
そんな訳ですから、パトカーとタクシーの区別が付かない幼児になってしまい、母親と買い物に出かける時でもタクシーではなく、パトカーを止めて母によくに叱られていました。
今思い出せば本当に良い時代でした。  お巡りさん。本当にありがとうご座いました。
と言うわけで、私の一部自己紹介は終わります。と、、そうそう話は「夏の昆虫採集の注意事項」でしたね!
忘れていた訳ではありません。 少し幼児の頃を思い出してしまいました。
先ずは服装です。 昔から身だしなみは大切と言いますからね。
●着用する衣服は黒い物やそれに類いした暗い色の物は駄目です!白い物が最も適しています。
これはハチから身を護る為で、ハチは攻撃の際には黒い色を目標とします。その様な習性のために着用する衣服の色によって極端な話し、スズメバチに襲われた場合などは生死を分けることにもなりかねません。
そして、帽子も必ずかぶります。これは髪の毛に眉毛といった黒い部分を隠す意味です。
では、ここで問題です。 帽子の色は何色が良いでしょう? はい白ですね。「白」が正解ですね。 帽子もやはり白い色のものをかぶりましょう! わざわざ黒い色の帽子をかぶっていたのでは「まぬけ」ですね。
ハチが「黒」いものに対してより攻撃適な習性は天敵であるツキノワグマが黒い毛でおおわれているからだと言われて来ましたが、最近ではツキノワグマ同様に古代人もまたハチの天敵であったのではないかといった新説を唱える研究者もいます。 何れにしても着用する衣服は黒い物やそれに類した色の物は避けましょう。
●長袖・長ズボン・長靴を着用しましょう。
できるだけ、衣服は生地の厚いものを選びましょう!長靴は膝下くらいまでをカバーできるものが良いです。
私の場合は真夏でもジャージ上下に膝下まである白い色の長靴を着用しています。
ジャージはサイズが大き目で、色は明るいブルー、生地の目は細かく「シッカリ」しています。ファスナーを襟まで上げると首筋まで覆うことができます。
わざとサイズの大きい「ブカブカ」のジャージを着るのはスズメバチに襲われた場合に皮膚にまで毒針が届かない為の工夫で、首筋まで覆うのは毒毛虫(クヌギの葉によくつくイラガの幼虫)やムカデが頭上から落ちてきた時に襟口からの進入を防ぐ為の工夫であります。勿論、これはスズメバチに対してもとても有効です。 膝下までの白い長靴はマムシ(毒蛇)を知らずに踏んづけた場合を想定しています。
それに素肌を出さないことにより、知らずに「ウルシ」等の刺激の強い植物に近寄ってしまった時にも身をまも
ることになります。 体質によってはきつく「かぶれる」ことがあり、高熱が出て寝込んだりするほどです。
さて、これで服装の準備は整いました。
●あと服装以外で用意する必需品の提案をしましょう。
近場の雑木林に行くのでしたら必要はありませんが、オオクワガタ採集のように山から山と採集ポイントを歩いて移動する時などはリックサックを用意します。昼間であっても懐中電灯は必ず携帯します。
その際、電球の予備は必ず確認しておきましょう。「私は経験から懐中電灯を3つも携帯します。」
私の愚かな経験ですが、夏は日が長いですから、ついつい粘ってしまい、山を下りる途中で日が暮れてしまって、木々の隙間から漏れる月明かりを頼りに山を下りました。 途中、沢も崖もあって、とても不安な思いをしました。 それ事から、必ず懐中電灯は持って行くようにしました。
時計もお忘れなく。木々が茂る山中ではよく時間を読み違えることがあります。正確な時間を知ることはとても大切です。それと今の時代ですから携帯電話も持っていくと良いでしょう。 もしも大事時には電波が飛べば役立ちます。 それと大切なことですが、必ず家族に行き先と日程を告げておきましょう。
飲料水と栄養食品(日持ちのする物)を常にリックに入れておく用心深さも必要です。
●もう一つ私からの提案です。深い山や大台ケ原のような高地への採集は時に危険が伴ないます。初心者や未経験者は、必ず、フィールド経験に熟知した者と同行しましょう。●
いざ、念願の「虫捕り」にトライするわけですが、相手は自然です。気をつけなければならないことが沢山あります。
野生動物もその一つです。私自身は車で移動中に2メートル位の近くで熊(ツキノワグマ)を見たことがありますが、直接、山中などで出会ったことは一度もありません。
以前、山梨県での採集で山から下りて来た仕事人のおじいさんに「熊を見かけたから行かないほうがいいよ」
と注意されたことがありました。その時は半信半疑で足を止めず進んで行きました。
しばらくすると足元の枯れ枝に動物の毛を見つけました。拾い上げ手にとって観察すると黒い灰色のそれは
おおきな動物のものであることは容易く想像がつきましたが、「大型犬の毛かも判らないし?」などと曖昧に片付けてしまい足を止めませんでした。
2〜30メートルは進んだでしょうか、小川の泥濘に大きな足跡を見つけました。まだ新しいその足跡は明かに犬の物ではありませんでした。 「クマ」?そう思った私は座り込んで、よく観察することにしました。
その足跡は、指の第2関節を折り曲げた状態の掌と同じ位のおおきさでした。 こんな者に不意を突かれたのではひとたまりもないと思いました 。しかし、この先はおおきなクヌギがある、とても魅力的な採集ポイントです。それに熊に対する好奇心も少しはありましたが、もし、バッタリ出くわしたりしてしまったら、八つ裂きにされかねません。「クマ」に私が無害だということは解らない筈です。 少しの時間、迷いましたが「この場はクマに譲るべきだろう」そう考えた私はその場は後にもと来た道をもどりました。
この様に私達、人が、自然の中に分け入って行くことはそこで暮らす野生動物のテリトリー(縄張り)に侵入し
ていくことに他なりません。ですから当然、細心の注意を払わなければならないのです。
「クマに注意!」「マムシに注意!」最近では「いのししに注意!」といった注意を促す看板を見かけますが、このような場所では細心の注意を払うように心がけましょう。
●「クマ」や「イノシシ」といった大型の野生動物には、鈴をリックや衣服に付けて鳴らしながら歩く、又はラジオを等を携帯し、音によってこちらの存在を知らせる方法が本や雑誌、テレビ等で紹介され、すでに皆さんもご存知だと思います。この方法はとても理に適っています。私からも是非、皆さんにお勧めします。
私の場合は鈴やラジオは持たず、口笛を吹いたり、歌を歌ったりしています。見通しの悪い場所や小高い丘などで、先が見えない場所に出くわした時は足を止めて手を力強く叩いて大きな音を出すようにしています。それと大切なことは周囲をよく見渡しながら歩くことです。足元の地面をよく観察すれば「いのしし」などが餌を探して掘り返した跡なども容易に見つけることができます。
そして形跡が何時のものなのかを判断して警戒レベルを決めています。私自身は「イノシシ」には何度も出くわした経験がありますから、少しは勝手を知った相手ですので、それほど恐ろしいとは思ってはいませんが、
相手が餌探しに夢中になっていて私の方が先に「イノシシ」の存在に気が付いた時などは、道を引き返し
相手にその場は譲るか、手を叩いてこちらの存在を知らせてやって「イノシシ」が辺りから完全に退去する
のを待ちます。 言わば譲り合いの精神とでも言いましょうか、相手の縄張りにお邪魔している訳ですから
謙遜することも大切だと私は思います。
ただし、犬に追われた「いのしし」は正常な判断ができません。私は猟犬に追われた「いのしし」と出会い頭になってしまい恐ろしい目に合った経験があります。 尚更、銃によって傷を負ってしまっては恐ろしい猛獣と化してしまいます。 それに危険なのは「イノシシ」だけではなく猟師に間違われて撃たれてしまったり、流れ弾に当たる等の事故も心配されます。私も昔、山中で猟師に撃たれそうになりました。 猟期に狩猟区に入るのは大変危険です。 絶対に止めましょう。
獅子猟の解禁は11月1日から2月中旬迄です。 通常は猟を知らせる看板を入り口付近に設置し、猟師さんが待機しています。 その様な場合は必ず指示に従い協力しましょう。
一部の動物愛好家の方達には叱られそうですが、オオカミや山犬といった大型の肉食獣が居なくなってしまった我が国の山林では天敵が居なくなった「イノシシ」等の野生動物は増え過ぎ、それと今日の森林開発の影響が重なり、山では餌不足となり、地域によっては農作物を食い荒らしてしまうなどの農家に深刻な被害をもたらしています。
ですから獅子猟もまた大切な仕事なのです。 お互いマナーを守って事故が起きないようにしましょう。
「※勿論、私達、人間が野生動物の本来の生活の場を開発の名の下に奪ってしまった事に原因があること。
自然環境問題・野生動物の保護と共存、もう少し踏み込んだ議論をしていかなくてはならないことは私自身も承知しております。」
それと少々、余談になるような気もしますが、秋の「マツタケ」の季節、その年の天候によって多少は時期的な
違いはありますが、おおまか10月中頃から11月末ぐらいは「山止め」「立ち入り禁止」「マツタケ採るな」などの看板を見かけます。 マツタケを採る目的でなくてもこのような場所には絶対に入ってはいけません。
マナーだけの問題では済まない事にもなりかねませんので注意しましょう。

今日は2007年11月1日です。朝から雨で昨日とは打って変り肌寒くなってしまいました。
取りあえず、ここまでは私の経験談を含めて「熊・クマ」「猪・イノシシ」に対しての注意を話してきたわけですが、「蜂・スズメバチ」「毒蛇・マムシ」についてもう少し話しておきたく思います。
私自身、お恥ずかしいかぎりですが、実はスズメバチに刺された経験があります。
あれは今から15年近く前のことです。山梨県韮崎市近郊の穴山という所で夜間採集のポイントの下見に初めて訪れた雑木林での出来事です。
その日はとても良い天気だったことをおぼえています。連日、日暮れと共に採集ポイントを回り始めて明けがた近くまで、幾つものポイントを車で移動する日々を送っていました。
いつものように、お昼前にテントをたたみ、昨日の下見、夕方に偶然出合った地元の中学生3人組みから教わったポイント「あなやま」に向かいました。 この3人組みとはそれ以降、私が双葉に採集ポイントを変えるまでの間、昼間、行動を共にすることになりました。彼らとの出来事は後日、何かの機会でお話できたらと思っています。 それで再び話は雑木林にもどして、その雑木林の奥にはオオクワガタが居そうなクヌギが沢山ありました。 林底には私の腰より高くイバラが生茂り、如何なる者に対してもその進入を拒んでいました。
私はトゲを注意しながらイバラをかき分けて奥へ奥へと進んでいきました。林の中程まで着た時です。
向いのクヌギの高さ3メートル辺りにおおきな割れ目があり、よく見るとその中で黒く光るものがスッと身を隠しました。 
私は瞬間に立派なオオクワガタのオスだと感じました。 今でもその光景は私の脳裏に焼きついています。
私は無意識で走り出していました。イバラのトゲが衣服を通し全身に突き刺さる痛みも気づかないほど必死でです。後で思い出そうとしても何故それほど不用意な行動をしてしまったのか?憶えていませんでした。
その時です。視界の中に何かが飛来しました。私はてっきり林に生息する大型のガガンボ?アカネ属課のトンボ?だろうと瞬時に判断してしまったのです。何故、スズメバチだと思わなかったのか?それはあの強力な羽音を全く聞かなかったからです。 そのとき私はただ一点だけ、未だ遠くに見えるクヌギの割れ目以外のものには全く目もくれず突き進んでいました。恐ろしいスズメバチが音も無く、まるで忍者の様に私に襲い掛かって来たことにも気がついていません。 突然、右の眉の辺りに「ガリ」っと痛みを感じました。驚いた私は慌てて手で払い除けました。その時です!続けざまに右の腕に左の胸にと痛みを感じました。私は目線を落として胸と腕に目をやりました。 驚きました。4〜5匹のスズメバチがすでに私の胸から両腕に「ひっついて」いました。 私が幼い頃からの経験によって培って来たスズメバチの概念が見事に打ち砕かれた瞬間でありました。
●これまでの私の経験では、スズメバチの巣にうっかり近寄ったりすると、辺りを飛び回り警告します。それでも、こちらが引き下がらない場合は無数のスズメハチがあの恐ろしい羽音を立て頭上を飛び威嚇します。
そんな時は驚いて足早にその場を後にしたものです。 その様な経験は幾つかしましたが、襲われたことは一度もありませんでした。●
そして次の瞬間、私の足もとにバレーボールを少し小さくした位の、未だそれ程、おおきくない巣の存在が目に飛び込みました。 その巣の上では、太平洋戦争の記録映画での空母甲板上、今まさに出撃せんとするゼロ戦を彷彿とさせる、勇敢で勇ましい、第2次攻撃隊!?数匹のスズメバチが羽を震わせていました。 
恐怖に我を忘れた私は、気がづいた時に走っていました。 元来た道を必死で走っていました。 後ろを振返らずに、イバラのトゲもそんなの関係ありません。 ただ、ひたすらスズメバチの猛攻から逃れようと命懸です。イバラの藪をつっきり、林につづく山道に出ることができました。 私が乗ってきた車が見えます。 もう、行手をさえぎる物は何もありません。 しかし、安心はできません。後ろをふり返ることなく全速で走りつづけました。 
まだ、あの恐ろしいスズメバチ達が、執念深く後を追ってきている筈です。
必死でイバラをかき分けていた手が自由になった私は大切なことを思い出しました。 そうです。ズボンのサイドポケットに強力噴射の殺虫剤・ゴキジェットを携帯していたのです。 2007、11月28日(水)

今日は19年12月1日です。 今年も残すところ、あとわずかとなってしまいました。
子供の頃は、お正月が待ちどおしいものでした。 でも、今は新しい年を迎えると、また一つ年をとってしまいますので、あまり嬉しいくはありません。そう思うのは私だけでしょうか?というわけで、前回のつづきです。
そうです。 私はいつもクワガタ採集の際は殺虫剤を携帯しています。 きっかけとなったのは私が20才前後の頃だったと思います。 地元、和歌山県の、ある山郷に、秋祭りの準備にお手伝いに行ったときでした。
お祭りの会場となる広場脇の植え込みの根もと近くに、大きなスズメバチの巣が見つかりました。
巣は最盛期を迎えて大人の一抱えほどもあります。 日ごろ人が近寄らない所だったために、ハチたちも何事かと驚いて辺りを飛び回っていました。 可哀想に思いますが、お祭りの日は沢山の人でにぎあいます。
このまま巣を放って置くことは出来ません。 地元の役場に連絡が取られ駆除業者が来ることになりました。
私達は出来るだけ近寄らないようにして、駆除に来てくれるのを待ちながら作業を続けました。
私は内心、興味津々でした。 駆除隊員が身を包む防御服をテレビでしか見たことがありませんしたから、直に、その装備がどうなっているのかを観たかったからです。そしてどの様な兵器で、どうやってスズメバチと戦うのか観察したかったからです。待つ事しばらく、軽トラックが到着しました。普通の作業服姿の普通のどこにでも居そうな、まるで工務店のおじさんといった感じの人が二人降りてきました。
そして、巣の様子を一目見た、おじさん達は準備でしょうか?軽トラックに戻って荷台のコンテナを開けて何やらゴソゴソ始めました。
いよいよ始まるぞ! しかし私の期待とは裏腹に、手には市販のどこにでも売っている、あのキンチョール!?それとビニール袋を持って防護服に着替えることもなく、作業服のままでスズメバチの巣に近づいていきます。
正直、驚きました。 と言うよりも、期待はずれでした。 スズメバチの駆除は何度かニュースで見ていますが、SFマンガやSF映画に登場するまるで宇宙人みたいな格好をしていました。全身が完全に密封された防御服、頭部を守る筒型の特殊な構造のヘルメット、手足は分厚そうな手袋と靴で保護され、背中には怪しげなタンクを背負い、真に全身白装束姿で手に持ったノズルから毒液を噴射してスズメバチをやっつける姿を期待していました。
それは、少し離れた所で作業をしていた私達の目の前で始まりました。 ここは近くに民家は有りませんし、交通も林道につづく奥ばった場所ですから車も人も通りません。ですから周囲に危険を知らせに行く必要はありませんでした。 ただ、私達には車内で待機するとか、駆除が終わるまで、どこか遠くで待機するよう言われるだろうと思っていましたから、これもまた以外でした。
そして、おじさん達は辺りを飛び回るスズメバチにキンチョールで「シュー」です!?「さっとひと噴きキンチョール」といったCMがありましたが、まさにそれです。 おじさんたちは、辺り一面を飛び回るスズメバチに次から次へとキンチョールを噴き掛けていきます。
意外なことに、あの残忍で且つ死をも恐れない筈のスズメバチが戦線を離脱していくではありませんか、そして、おじさんたちは徐々に包囲を縮めていき、巣に留まった勇敢なハチたちをやっつけて、最後はビニール袋が巣にすっぽりと被せられ呆気ない終わりでした。 おじさんたちは嬉しそうにビニール袋に入った巣を荷台に積むと「じゃ」と一言挨拶をして帰っていきました。 後には、無数のスズメバチの死骸が残りました。中には、まだ死に切れづに苦しむハチの姿もあります。 巣が在った後には何も知らずに狩に出かけていたハチが、もどってきたのでしょう。数匹が身を寄せ合っています。少し可哀想で複雑な気持ちになりました。
●今日は12月5日。夕方、常連客の中学生Mくんに「昆虫少年ひろば、みたよ」と言われた。実に嬉しかった。 これで少なくとも1億2千分の1の読者を獲得したわけですから、私にとってこれほど嬉しいことはありません。 もう時間はすでに閉店間近ですが、頑張ってつづきをやることにします。
以外でした。 それまで私は、スズメバチはとても強靭で簡単に倒せる相手だとは思っていませんでしたから、まさかキンチョールで死ぬなんて想像も付きませんでしたし、試したこともありませんでした。
私だけではなく、その場にいた他の人達も驚いていました。 「驚いていた」と言うよりも、むしろ「呆気に取られてしまった」と言う方が正しいと思います。 とにかく、これまでスズメバチに怖い思いをして来た私にとって、とても興味深い出来事でした。 後日、キンチョールを持って山に行き、私なりに実験をしました。
まず、スズメバチが集まって居そうなクヌギを探しました。 その木ではざっと10頭近くのスズメバチが樹液を舐めています。私は脅かすために力いっぱい幹を蹴りました。 望み通りハチたちは舞い上り、私の頭上を飛び回っています。 私は手に持ったキンチョールを自らの頭上に向けて辺りが霧で白くなるぐらいに周囲万遍に噴射しました。 キンチョールの霧に成す術も無く、驚いたスズメバチたちは逃げて行きます。
それと、直接20〜30cmの距離から噴射した場合は、驚いて飛び立とうとするもののすぐに地面に落ち、もがき苦しみ、数分から数十分後には完全に動かなくりました。可哀想に思いましたが、実験のために犠牲になってもらいました。 行った実験はこれで全てです。 以後、これを基に殺虫剤を用いてスズメバチに対処して着ました。
ただし、これは随分と昔の話であって、最近では家庭用殺虫剤も様々な商品が売り出されていて、テレビCMで見かけますが、強力な噴射のハチ用殺虫剤も市販されているようです。 
何れにしても、夏、雑木林にカブト虫・クワガタ虫の採集に出かける時は、万が一の場合を想定して、スズメバチ避けとして殺虫剤を携帯することをお勧めします。 
大切なお話です。ここから下の行は必ず御覧下さい。
これまで私がスズメバチについて経験したことを事実に忠実にお話して来ましたが、正直のところ誤解が生じないか?迷いもありました。ですからあえて誤解の無きように付け加えて置きます。スズメバチは世界中で最も大きい毒ハチで、その毒性は非常に強く、とても恐ろしいハチです。 刺されると災厄の場合は死に至ります。 我が国では野生動物に関わる死亡事故件数ではスズメバチが一番多いと聞いています。
私が遭遇した駆除業者も「言わばプロ」です。少し驚きはしたものの長きにわたる経験から判断した駆除方法だったのでしょう。決して素人がキンチョール片手にスズメバチの巣を駆除出来る訳がありません。 絶対に皆さんは駆除業者の真似はしないでください。駆除が必要な場合は専門の業者に依頼してください。 もし駆除業者の連絡先がわからないときは市町村役場で紹介してくれます。
●12月13日。店先でコーヒーと煙草でいっぷくつけていましたら、北の空からカラスが5羽現れ、南へ飛んで行きました。なぜか一番後のカラスが「ああ・・・ああ・・・ああ・・・」と情けなさに鳴いていました。 
私も物事が思うようにいかなかったときなどは、「ああ・・・」と言ってしまうことがあります。
あの一番後ろを飛んでいたカラス、何かヘマでもやらかしてしまったのでしょうか??
ついそんなことを考えてしまうのは、私だけでしょうか。。。「かあ〜」。。。
と・言うわけで、そろそろ元の「あなやまの雑木林」にもどってみたいと思います。 つづく

●今日は12月24日。 私もとうとう43度目のクリスマスを迎えてしまいました。 こんな私にも幼い頃はあって、普通にサンタクロースが実在して、ソリで空を飛んで、世界中の子供たちに幸せなプレゼントを運んでいると信じていました。 でもサンタのおじさんは世界中でたった一人ですから、毎年、クリスマスには大忙し,、いつもプレゼントは間違えてばかり、でも小さな私は、本当のプレゼントを待ちつづけました。 数年が経って、小学校に上がった時でした。「サンタクロースなんか、本当にいるか!」とクラスの女の子が、男の子達にいじめられて泣いていました。 その様子を伺た私は、男の子達のまちがいを正そうと思い、女の子の肩を持つかっこうで仲に割って入りました。 しかし、話は折り合いがつかずに喧嘩になってしまいました。 結局、クラスで話し合うことになったのですが、サンタクロースを信じている子供は、ほんのひとにぎりに過ぎず、朝目覚めて、靴下に幸運にも願いとおりのプレゼントが入っていたとしても、それは両親からの真心のこもった贈り物だということを殆どの子供達が理解していたのです。 そればかりでなく科学的根拠を以って否定するクラスメイトもいて、肯定派は非常に厳しい立場に立たされる結果となってしまいました。 それでも授業の終盤には先生の配慮でしょう。 それぞれの想いこそが大切であることを話してくれました。 そして私たちの論争は終わりました。 
家にもどった私はこのことを母親に話しました。すると母親は今まで通りに「サンタのおじさんは本当にいいるんだよ」と幼い私に教えてくれました。 では、どうしてサンタのおじさんは私の願い通りのプレゼントをくれないのか?私が紙に書いて靴下に入れておいた願いを聞き入れてくれないのか?母親に詰め寄りました。
すると母親は「赤ちゃんはコウノトリが運んでくるだよ」と教えてくれました。
●それでは、「11月28日」のつづきです。 
そうです。 私はスズメバチから逃れることだけに必死で、殺虫剤をズボンのサイドポケットに携帯していたことを忘れていたのです。
スズメバチに追われた時には殺虫剤の噴射口を後方に向け噴射しながら逃げるのです。 これはとても有効な手段で、今日まで何度かこの方法で逃れてきました。
そして私はポケットのゴキジェットをしっかりと握りしめ一気に引き出しました!。 よし!心の中でそう叫びました。でもその瞬間です。 こともあろうか、私はゴキジェットを放り投げてしまったのです!?。 そうです。勢い良く取り出したために、ゴキジェットの噴射レバーがポケット口の織り反し部分に引っ掛かってしまったのです。
しかし、幸いに、ゴキジェットはまだ宙に浮かんでいます。 よし!私はわらにもすがるつもりで両手を伸ばしました。 でも、缶は右の手から左の手へ、また右にといった具合で、お手玉をやってしまっいました。
そして、終いには、あろうことか缶を蹴ってしまいました。拳闘もむなしく、とうとうゴキジェットはコロコロという悲しい音とともに路肩を転がり落ちて行きました。 こうなっては仕方ありません。 ただただ全速力で走ることしか今の私には残されていません。息をするのも忘れるぐらい必死に走りつづけて、とうとう私のワゴン車までたどり着きました。そして、ドアの取っ手に手をかけ一気に跳び込みました。一緒にスズメバチが乗り込んでいるかもわかりません!私は慌てて座席の後ろの辺りに手を伸ばしてキンチョールを取り出しました。そして車の中を一目見渡して、スズメバチが居ないことを確認しました。でもまだ安心は出来ません。私の身体のどこかに付いているかもわかりません。 私はルームミラーを使って背中を観て、そしてズボン・上着と全身をよく調べました。何所にもスズメバチが付いていないことに安心しました。 少しだけ落ち着きを取り戻した私は、フロントガラス越に外の様子を伺ったのです。 驚きました。外の様子は私の予想とまったく違っていました。
つづく 12月27日(木)
●12月28日、天候雨、この数日、めっきりと寒くなり、本格的に冬らしくなってしまいました。 私は、冬は寒いので嫌いです。 私が子供の頃は、今と違い、温暖な気候の和歌山でも沢山雪が積もったことがありました。
雪だるまを作ったり、雪団子を投げ合う雪合戦をしたもです。 私が子供の頃、和歌山に降った雪は手袋をした手できつくにぎると、まるで氷のようにカチカチになりました。それを至近距離でぶつけ合うわけですから、時には命がけになってしまいした。 さすがに死人こそ出ませんでしたが、想像を絶するスリルを味わった私達は
鼻血が出たり、顔がボコボコになっても懲りずに遊びつづけたものでした。 仲には雪団子の中に石を入れる、反則技を使う子がいて、私は頭をパックリ割られたことがありました。 それでも子供だった私は、寒さで汗が凍たために、髪の毛がごわごわになっているのだと思い込み、日が暮れるまで遊び続けました。
家にもどった私の様子をおかしく思った母親が、温かい濡れタオルで、私の頭を拭いてくれました。 すると白いタオルは真っ赤に染まっていました。 「頭がどんな風になっているか見てみなさい!」母親に叱られてた私は、しかたなく鏡の前に立って髪の毛をかき分け観てみました。 するとどうでしょう。 頭の皮がパックリ開いていました。 その当時、男の子が遊びの中で怪我をするのは当たり前のことでもありましたから、こっぴどく叱られることもなく、翌日には母親から言われたとおりに、父親のドカヘルを被って雪合戦に参加しました。
●お待たせしました。では昨日のつづきです。 そうです。 外の様子は、私の想像とは全く違っていて、執念深く追ってきている筈のスズメバチの姿は一匹も見当たりません。 本当に以外でした・・おそらくハチたちは、私が尻尾を巻いて・と言うよりも、寧ろ命がけで逃げ出す様をみて追撃する必要がないと判断したのでしょう。ホッとひと息ついた私は、休む場所を探して、近くにあった大きな石に腰を掛けました。 そして、気持ちを落ち着かせようと胸ポケットから煙草を取り出し、一服付けることにしました。 しかし、しばらく経っても一向に心臓の鼓動は鳴り止みません!?相変わらず、激しく脈を打ち続けています。 私は自分の身体に異変が起こっていることに気付いたのです。
そして、私は想像しました。 あの恐ろしいスズメバチの猛毒が、私の体の中を巡っているのだと!!。
私はこの後、病院に行き治療を受けるべきなのか?それとも自らの体力だけで乗りきれるものなのか?判断しなくてはならなくなりました。 そして上着を脱ぎ、スズメバチに刺された箇所を調べました。右腕は怖ろしいほどにパンパンに腫れ上がって、正しく、ハルクホーガンの腕のようです!不思議と痛みは感じません。
幸いなことに、一番心配していた、ガリッときた、右眉の辺りは腫れていないようです。 この部分は皮膚がとても丈夫にできていますから、一瞬に払い除けたことで、毒針が皮膚を貫く暇が無かったのでしょう。 
そして左胸です。 ここには毒針が折れて皮膚に突き刺さっています。 おそらく針の中央部分辺りで折れたのでしょう。 チクチクするので、クワガタ採集用にいつも携帯しているピンセットで抜き取りました。
胸も幸いなことに、針が刺さっていた辺りは赤くなっていますが、心配するほどのことはありません。
つづく
●年末年始は、少しバタバタしてしまって、年もあけて、今日は1月の4日です。 少しおくれてしまいましたが、あけましておめでとうございます。 年明けそうそう昆虫少年ひろばをご覧頂いてありがとうご座います。
本年もよろしくお願い致します。
ここで皆さんにスズメバチについて、一つ知っておいて欲しいことがあります。 皆さんもよくご存知のアシナガバチ、刺された経験のある人ならわかりますが、いきなりチックときますよね。 スズメナチはアシナガバチの近縁にあたる種類で、見た目もよく似ています。 でも、ご承知の様に体格は比較にならないほど、スズメバチは巨体で、また、その毒針もアシナガバチとは比べ物にならないぐらい大きいのです。
ですから、多くの場合、スズメバチが人を刺すためには、先ず噛み付いて、自らの身体をシッカリと固定してから、毒針を刺し入れなくてはなりません。 針が太いために容易に皮膚を貫くことが出来ないからです。
今回の私の場合は、眉の上辺りに偶然にもススネバチがとまって、直接、皮膚に噛み付かれたことが幸いしました。 もし、全てのハチが私の腕や背中といった衣類に包まれた部分にとまり、噛み付いて、身体を固定し、そして毒針を打ち込まれていたとしても、私はイバラのトゲが刺さった痛みだと思い込んでしまっていた筈です。 それが証拠に、右の腕にはパンパンに腫れ上がるほど、十分に毒が注入されているにも関わらず、私は全く気付きませんでした。 おそらくイバラのトゲが刺さる痛みと入り混じってしまっていたのでしょう。
後から冷静に、その時のことを思い出し、分析した私は、ぞっとしました・・・あと少し気付くのが遅れていたら、背中や胸・腕といった全身の数ヵ所を刺されて、完全に、その場で動けなくなってしまっていたと考えました。 
人事の様な言いかたをしますが、、実に恐ろしい話です。 そして、眉に噛み付いたハチは、実は私の命の恩人?いやいや恩バチだったのだと・・そう思うことすらできました。。
前回のつづき 
全身を調べた私は、毒を注入されたのは右腕だけだったことに少し安心しました。 しかし、心臓は相変わらず激しく鼓動を打ち、全身の血液は激しく身体の中を巡っています。 そして腕はその腫れを更に増しています。
「あ!・・?」身体が動かない。 立ち上がろうとした私は驚きました。 それは私の意志とは関係なく、まるで私の脳が拒んでいるかのよう思えました。 私は無理をせず、もう少し様子を観ることにしました。
どれ位の時間が経ったんでしょう?私は腰を降ろしたままの格好でふと我に帰りました。 この日はとても良い天気です。しかも山から吹き下ろす適度な風が心地よく、あんな出来事さえなければ絶好の日和だった筈です。 自らの不注意によって、最高に楽しめた一日が地獄絵と化してしまったことに改めて後悔していました。
午前中からの畑仕事を終えたのでしょう。小柄なおじさんが鍬を肩に急な山道を下りてきます。お百姓さんでしょう。 こちらを向いた麦わら帽のその下では、浅黒く日に焼けた顔が目じりに皺を寄せニッコリ微笑んでいます。 私を見て会釈をしてくれています。 良い若者が、上半身、裸で腰を掛けている訳ですから、どうせ町から休日を楽しみに来ていて、遊び疲れた身体を休めて涼をとっているぐらいに思っている筈です。 
でも、今の私はとてもそんな気持ちにはなれません。 しかし相手は田舎の素朴なお百姓さんです。きっちりあいさつをしたいと思いましたし、それに、うな垂れたままでやり過ごしたりしたら、怪しい奴だと思われてしまうかもわかりません。私は無理をして笑顔で会釈を返しました。小さくなって行くおじさんの後姿を眺めていた私は、ふと、一つ違えば、あのおじさんが私の死体の第一発見者になっていたかもしれない・・そんなことを考えてしまいました。
私は気を取りもどすために空を見上げてみました。 空は青くて、白い雲がゆっくりとなだらかに流れています。太陽はとてもまぶしくてじっと見ることは出来ません。 そう・・私は、いま正に小さい頃から一番大好きな季節の中に居るのです。 ものの数時間前に私が出合ってしまった惨劇がまるで嘘の様で、夢でも見ていたかのよう思えてなりません。私は思い切って腰を上げて、適当な病院を探そうと車で甲府市内に向かいました。
つづく2008、1月7日
●今日は1月12日、久々にパソコンの前に座っています。 サボっている訳でもないのですが、成虫のゼリー交換や幼虫のマットに菌糸ビンの交換、それに自家製マットの作成に、店の雑用他と何かといろいろあって、一日はアッと言う間に過ぎてしまいます。 そして、話は変りますが、去年の年末に、知らない人が店にやって来て「昆虫少年ひろば、楽しみに拝見しています!」といきなり言われてしまいました!・・・
え!?・・そんな???バカな・・。 私は思わず心の中でそうつぶやきました。 いつもの常連の皆さんならわかりますが、知らない人が私の下手な作文を楽しく読んでくれていたなんて不思議に思い、驚きました・・。
以外なことを言われてしまい、つい照れ笑いでごまかしてしまいました。 でも本当は、とても嬉しく思いました。なぜならこれで一億二千分中、二人もの読者を獲得するに至ったわけですから、やりがいも出て来ました。
と言った訳で前回のつづきです。
読者の方々は昆虫少年(私)がスズメバチに襲われて死んでしまったり、重症を負って救急で病院に運ばれるシナリオを想定していて、ラストシーンを楽しみにご覧頂いていたことと思います。 ですが、あいにく私、こう見えて、かなり丈夫にできていまして、皆さんのご期待に添えることができませんでした。
結局、甲府市内に出て、病院を探している間に元気を取り戻してしまって、夕方にはキャンプ地に帰り、夜間の樹液回りの準備を始めました。 このときの山梨での採集キャンプは14日間にも及びましたが、あの場所にはあれから一度も行きませんでした。 すみません。ドラマの最終回みたいなとてもあじけないお仕舞いで・・・。
とりあえず、これで私が体験したスズメバチについてのお話は終わりとなります。 ただし皆さんが、もし、スズメバチに刺された場合は病院に行ってちゃんと診てもらってください。 様態如何では救急連絡をして指示を仰ぐ方が良いでしょう。 体質によっては大変な事態にも成りかねませんし、災厄の場合は一命を落とす危険すらあるということを認識しておいてください。
誤解の無いように加えておきます。私はアシナガバチの毒に対しては強く、アシナガバチに刺されても、丁度、蚊に刺されたように皮膚がぷっくりと盛り上がるものの、痛みも感じませんし、腫れもしません。
かゆみは感じますが、本当に蚊に刺されたのと別段違いはありません。 小さい頃はハチに刺されると腫れ上がりましたから、子供の頃からではなく、はっきりとは憶えていませんが高校生ぐらい?からだったと思います。 その特技?体質を活かして、時にはパンツ裸のままで、家の軒下に出来たアシナガバチの巣を掴んで駆除したこともありました。 顔や胸・背中といった十数か所を刺されても、痛くない訳ですから冷静でいられました。 刺された所は皮膚がぷっくり盛り上がりはしますが、しばらくするときれいに元通りに戻っています。
このような体質がスズメバチの強力な毒に対しては、どこまで有効なのか?私にはわかりませんが、ただ事実としてお伝えしておきます。 もし、仮に私以外の人がスズメバチに刺されていたら、今回の私の程度では済まないことになっていたかも知れません。 そう考えると、文中、私の症状は、まだ非常に軽いものだったのかもわかりません。

●1月20日(日曜日) 毎日、寒い日がつづきます。今日はあいにく朝からの曇空で、3時前には雨がぱらつきはじめ寒さをいっそう感じます。 私は凍えると体中が痛くなります。 私が一番嫌いなことは、お腹が空くことと、寒さに震えることです。 私が小さい頃、大好きな歌がありました。「はーるよ来い、はーやく来い、あーるきはじめたみよちゃんが、はーるよ来ーいとまっている」。 歌の題名はたしか・春よ来い・だった?と記憶しています。
幼稚園のお遊戯で歌った歌です。小さい頃は、なぜかこの歌を歌うと春が早くやって来るような気がしました。今でも私は寒くて辛いときなどは、ついこの歌を口ずさんしまいます・・・・
と・いうわけで前回にひきつづき、危険な動物のお話をしようと思います。 私自身はマムシ(毒ヘビ)に遭遇することはしばしばあるものの、咬まれた経験は一度もありません。ですから私の採集仲間がかまれたときのお話と、子供のころに教わった予防策に自らの経験をアレンジした「マムシに咬まれないための対策法」をみなさんにお話したいと思います。と・その前に、スズメバチのお話は前回で終わったわけですが、少しだけ私が過去にタイ(泰王国)で出合った、面白いアリ!ハチではなく、毒針をもった、巨大なアリ(蟻)のお話をしておきたいと思います。 それは今から17年も昔の話になります。 当時、私は26才、とても好奇心旺盛な若者でした。 私は幼い頃より、大人に成ったらお船にのって、遠い外国へ冒険に出かけてみたいと思っていました。それは、母親がまだ幼い私に、「おまえは男の子だから、大きくなったら遠い外国を旅して周りなさい」と言っては、「海ーは、広いーな・大きいーなー、行ーってみたいーな、よそのー国ー」と、よくこのうたを歌ってくれました。 そして私が、ごはんを食べ残したときには、「アフリカやアジアでは、ごはんが食べれなくてお腹がへって死んでしまう子供たちがたくさんいるんだよ」とも、教えてくれました。 
あるときには「海のうた」を歌いながら、「お前が旅先で友達になる人たちだよ」と、チリチリ天然パーマに黒い顔で笑って歯だけが白い顔の人をはじめ、様々な容姿の人たちを描いてくれました。 その頃からです。私が遠くはなれた異国へ思いをはせらせるようになったのは。旅先で出会った人々、文化、ちょっとした事件?また、面白い動物たち、いろいろとみなさんにお話したいことは山ほどあります。 後日、「昆虫少年旅日記」にてお話したく思いますのでご期待ください。
●1月24日(木)、今日は午前中は晴れていたのですが、午後2時ごろから雪が降り出しました!
結構、本格的に降ってきました・・・白いものがチラチラするのは、年が明けて二度ばかりあったと思いますが、「雪が降ってる!」と思うほど降りだしたのは、今年になってはじめてです。 さむー・・ん・・どうしよう!?
ではこれより、アリのお話を事実に基づいてありのままにお話しいたします。
この大きなアリに出会ったのはタイ西部のカンチャナブリ県です。 国境を挟んで、すぐお隣がミャンマーなのですが、首都バンコクから100数十`しか離れていなく、車で2時間程度で走れるところです。
しかし、当時タイでは、慢性的な交通渋滞が社会問題にもなっていて、その日の出発が昼過ぎということもあって、途中全く車が流れなくなり、到着まで4時間以上もかかってしまいました。 
これから二泊三日の予定でお世話になる農園に着いたのは、すでに太陽が西に傾き始めた夕方でした。
主(あるじ)のおじいさんとおばあさん、それに息子さん達とお孫さんがたくさん、大勢で出迎えてくれました。
ここはココナツの大農園です。 お屋敷のあたり一面がココナツの木におおわれていて、夕焼けがココナツの葉を紅く染めて、なんとも言えぬ風流さをかもし出していたことがとても印象的で、そのときの風景は私の記憶に今も残っています。 夕食までは少々時間があって、お孫さんたちに手を引かれて、私は近くを探索することになりました。 近くに小高い場所があって、そこからだと東の方角なら遠くまで見渡すことができました。 
五キロぐらい?でしょうか・・それとも十キロはあるのでしょうか?夕陽に照らし出されたココナツの木々が地の彼方までつづいています。 とても雄大な景色です。 これが全てこの農園の主であるおじいさんの土地だそうです。 おじいさんは若いときに中国からこの土地にやって来て、一代にしてこの大農園を経営するに至ったそうです。 おじいさんの家は木造二階建で床はコンクリートです。 この辺りでは一番立派な家です。
農園に入ってすぐの所に在った、この農場で働く人たちの住いも、おじいさんのすぐ隣の長男の家も、少し離れた次男、それに長女の家も、おじいさんの家以外はすべて骨組みは竹を編んだもので、それらにココナツの葉を重ねてくくり付けることで壁と屋根ができています。 床は地面を踏み固めただけのものです。
おじいさんの家は、木造といっても造りはとても簡素で、柱や梁に外から木の板が打ち付けられて屋根と外壁ができています。 家屋の内には天井も壁もありません。 私にはとても殺風景にさへ見えました。
そうこうしているうちに子供たちの様子が慌ただしくなって、皆で私に「アブナーム」と言ってきました。
私はその頃、すでにタイで一ヶ月程度を過ごしていましたから、お風呂に誘ってくれていることがわかります。
道中、オーバーヒートを避けるために、クラーを切り、窓を開けて車を走らせてきましたから、砂ぼこりと汗で体が汚れていましたから、これ幸いと持参していた桶とバスタオル、石鹸を手に、またもや子供たちに短パンの裾と手を引かれて早々にお風呂場に向いました。  
その当時は、タイの首都バンコクを少し離れただけで、道は舗装されていないことが多く、乗って来た自動車も私が小学4年生の頃に叔父が乗っていた日産サニーと同じ車種の車です。 こんな古い自動車でも当時、日本円に換算して約120万円もしました。 
子供たちに連れられてやって来た場所は、先ほどすぐ脇を通り過ぎた池でした。どうやら先客がいるようです。
若い女の人がひとり、からだに布を巻いた姿で水を浴びていました。 木製のデッキに跪き、黒く艶やかな長い髪をゆび先でそっと撫でるように叮嚀に洗い流しています。 その美しい黒髪と小麦色の肌は、南国の夕暮れが手伝って幻想的な風景となり、そのあまりの美しさに私は思わず立ち止まってしまいました。
子供たちの黄色い声に我に返った私は、再び手を引かれて歩き出しました。 そのにぎやかで楽しげな声に、誘われるように、こちらの様子を伺った彼女は見慣れない男の姿にさぞや驚いたのでしょう。 両手で自らの肩を抱く仕種で身体を隠くすように背を丸め下をむいてしまいました。 するとその様子に子供が大きな声をかけました。 何やら二言三言を話しましたが、その時の私では意味はわかりませんでした。 
「この間から話していた日本人だよ!」とでも言っているのでしょう? その言葉に促がされるように恐る恐るゆっくりと顔を上た彼女は草の茂み越しに子供たちの姿を見つけて安心した様子です。 そして恥ずかしそうに照れ笑いを浮かべて私に丁寧にワイ(タイ式の挨拶)をしてくれました。 よほど恥ずかしかったのか、挨拶をすませた彼女は、そそくさと速足で池の向こう岸の小道を引き揚げていきました。
つづく(今日の日付1月30日)
●2008、3月5日
すみません・・・。 ながいこと昆虫少年広場をお休みしてしまって。 何かといろいろと片付けなければならないことが山ほど溜まってしまっていて、今になってようやく段取が着きました。
そうですね・・。こんな私も若い頃は例外ではなく、人並みに異性に興味を持っていた頃はありました。
皆さんには、昆虫少年さん(私のこと)は小さい頃から、虫(むし:昆虫を含め身近な生き物)にしか興味を持たなかったように思われてしまっているようですから、あえて私にも異性に胸をときめかした時期があったということを知って欲しく思いました。 昆虫少年広場をご覧頂いているちびっ子しょ君には、今はわからないかも知りません。でも君たちも将来、大人になっていずれ結婚して家庭を持ち、子供を育てて行くのです。 そして子孫を後世に残して行かなければならないのです。 異性を純粋に美しいと思うことは、私たち人間が後々まで子孫を繁栄させるためにはとても大切な感情なのです。(すみません・・がらにもなく、この様な話をしてしまいました・・)  え?「ところで彼女とは?」ですって。 昆虫少年とカンチャナブリーの少女が恋に落ちるロマンス
を予感されたかたにはたいへん申し訳なく思いますが、その後、彼女とは一度も顔を会わすことなく二泊三日の予定を終えてクルンテープ(バンコク)にもどりました。 
●2008、3月19日
水浴びを終えると、辺りはずいぶんと暗くなっていました。 帰り道、子供たちをそれぞれの家に送って、池から一番遠くにあるおじいさんの家にもどりました。 この辺りは未だ電気が通っていません。 家は暗くて、それに家の人は日が落ちて間もないのにもかかわらず、ベットに入っていた為に人影がなくて驚きました。
恐る恐る足を踏み入れると、おじいさんがロウソクに火をつけて出迎えてくれました。 木製の頼りない階段を上がり、2階に案内された私は、生まれて初めて蚊帳(かや)で眠ることになりました。
子供の頃、時代物のドラマで、蚊帳がわからなくて母親に「あれは何?」と尋ねたことに、母親が子供の頃、蚊帳での出来事をとても楽しく私に話してくれたことを思い出しました。 寝付かれずに妹とお喋りしていると、蛍が飛んで来て蚊帳にとまった。 見ているととても愛らしく思って、他所に飛んで行ってしまわないようにと、そっと手に取って蚊帳の中に入れたら、蚊帳の中を飛び回ってとても楽しかったので、飛んでくる蛍を次々と捕らえては蚊帳の中に入れていたら、蚊帳中が蛍でいっぱいになってしまい、おしっこに目を覚ました兄に明るくて寝つけない。と言って叱られたことを笑って話してくれました。 戦前の遠い時代の昔話だと思っていました。 まさか自分が体験出来るなんて思いもしていませんでしたから、私は嬉しくて、おじいさんが階段を下りていくのを見届けるなり、蚊帳に跳び込んで、それから横になり「へ〜これが、あの蚊帳なんだ・・」と独り言を言いつつ当時の風流を満喫しました。 しかし、そんな幸せな一時も束の間でした。 蚊です。 大群の様に蚊がやって来ました。 何所に穴でも開いているのか?蚊帳の中にまで入っています。 それにしても貪欲な蚊たちです。 ロウソクの火で照らしてよく観ると、蚊帳の網の目を通り抜けようと頭から突っ込んでいます。
ここに付いてからずっと、私一人が蚊に刺されている状態でした。 蚊にとっては遠く日本から来た私の血は珍しいのか?周りの人はそれ程でもないのに、何故か?私だけが「ボコボコ」に刺されています。
何れにしても、此処の蚊たちは、私のことをとても魅力的なご馳走に思っているに違いありません。
蚊に刺されてかゆくてとても眠れそうにありません。蚊帳に入った蚊を退治するのに必死になっていました。 
そうこうして夜もずいぶん更けてしまった頃、ぷ〜んと何か小さな甲虫が一匹飛んで来て蚊帳にとまりました。
手にとって観ると、それは小さなコガネムシでした。日本では見ることの出来ない種類でした。
私はおもしろそうなので持ち帰ろうと思い、辺りを見渡すと、缶詰の空き缶が二つ部屋の隅に置いてありました。 すると「ぷ〜ん」と。また小さなコガネムシが飛んできたではありませんか。 手に取ると、さっきのとはまた違う種類でした。 それからまた「ぷ〜ん」。また「ぷ〜ん」。と次から次と、どんどん飛んでくるありませんか。
何故か?コガネムシが飛んでくるようになってから、蚊の襲来も沈静に向って、コガネムシの飛来がピークを迎えた頃には、蚊は姿を消していました。 楽しくてしかたがなく、飛んでくるのを全部集めているうちに、とうとう空き缶は二つとも小さなコガネムシでいっぱいになってしまいました。 小さなコガネムシばかりで、少し寂しくも思いますが、ロウソクの火に飛んできたのですから仕方ありません。 この辺りは電気が通っていませんから、町のように街路灯もなければ、民家の電灯も無い訳です。 それが、二階の窓からわずかにこぼれるロウソクの灯りにでも小さなコガネムシを集めたのだす。 窓の外が薄っすらと明るくなってきた頃、コガネムシもやってこなくなりました。 外では小鳥たちのお喋りも始まりだしました。 朝です。夜が明けてしまったようです。
一睡もしていない私は急に眠くなり、そして意識をなくしてしまいました。。。
●2008、3月20日
朝。 おじいさんに起こされた私は、まだ意識が、ぼ〜っと、したまま階段を下りていきました。 どうせ子供たちが、私が下りてくるのを待ちわびしびれを切らしておじいさんに様子を見てくるように頼んだのでしょう。 2、3時間は眠ったでしょうか。 階段の中程で一瞬、睡魔に襲われ私は、階段を踏外してしまい「おっとと」、危うく転ぶところでした。 でも、お蔭で完全に意識を取り戻すことができました。
脳ミソが全快になったとたん、子供たちの声がしないことに気がつきました。 階段の中程で立ったまま腰を屈めて様子を伺うと子供たちの姿はありません。 代わりにおじいさんの孫で14歳の少年が待っていました。
彼は私の姿を見止めると立ち上がって、私が程好い距離に近づくのを見計らって、私にワイ(掌を合て、頭を下げるタイ式の挨拶)をして、照れくさそうに笑顔をつくりました。 タイではとても上下関係が厳しく、彼の年齢にでもなれば、周りからはすでに一人前の大人としての扱いを受けているのでしょう。
彼は私よりも背が高くて体つきもガッチリしている。浅くろく日に焼けたその顔は少し年齢よりも老けて見える。堂々としたその風貌は、中学生というよりも17、8歳の青年に思える。
もともと勉強が嫌いな少年は、私と遊びたいということを理由に学校をサボった。 きっと、おじいさんにもいろいろと思惑もあって、学校に行っているよりも、今日一日、私に付き合わせる方が孫には勉強になると考えたのでしょうか。 おじいさんも中国からタイにやって来て最初の頃は苦労の日々だったことでしょう。 
異国の風習や、他の国の人は、自分たちと同じ物を見て、どう思い、それからどの様に判断するのか、それを知っておくことはとても大切な事なのです。 私の憶測が正しいかどうかはわかりません。 でも厳しいおじいさんが、孫がわざわざ学校をサボることを許すのですから、きっとそれには理由がある筈だと私は思います。



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